「寺本将司」
剣道をやっている人でこの名を知らない人はいないでしょう。日本剣道界のエースとしてその名を馳せ、圧倒的な強さで味方には慕われ、敵には恐れられた日本の大剣豪です。今回は、寺本将司選手の強さの秘訣とこれまで彼がどんな戦果をあげてきたのか、なぜ「日本のエース」と呼ばれるまでになったのかを紹介していきます。
伝説は小学生時代から始まっていた
皆さんは小学生が中学生を相手に剣道で負かす姿を想像できるだろうか、大人の1・2年と違い、この年代の1・2年はとてつもない力やパワーの差を意味します。しかし、将司少年にはそんな事は関係なし、すでに小学生にして中学生を打ち負かすだけの力を備えていました。
無冠の帝王
既に神童たる所以を見せていた寺本氏ですが、実は中学・高校時代はどちらかと言えば辛酸をなめた経験が取り正されます。中学時代は全国中学校剣道大会にて団体で3位になるもその当時は補欠でした。また、高校時代にはインターハイには出場する実力を見せるも優勝といった結果は残していません。
無名校との練習試合で剣道人生が大きく変わった
全国優勝こそなかったもののほぼ敵はいないと思っていた当時の寺本氏にある出来事が起こります。全国的には無名の群馬常盤高校の選手に負けてしまったのです。完全に天狗になっていた寺本氏はそこで大いに鼻をへし折られ、剣道に対する姿勢が一変します。十分な実力を持ち、小学生からずっと敵などいないと思い込んでいたお山の大将はここで自らの未熟さを感じ、一層稽古に励むようになります。
寺本選手の戦績を見てみよう
それではここでなぜ彼が「剣道界のエース」とまで呼ばれるようになったのか、その戦績を見ていきましょう。全国の剣士の中でトップを決める全日本剣道選手権大会では、2009年に悲願の優勝を果たすも全7回出場したうち、ベスト8まで勝ち上がったのはわずかに2回です。これだけでは剣道界のエースと呼ばれるには少々過大評価な気がします。しかし、彼の真骨頂は実は団体戦にありました。全国警察剣道大会や都道府県対抗大会、国民体育大会などでは無類の強さを見せ、全国警察剣道大会ではチームを5回の優勝、4回の準優勝に導いています。また、彼は世界剣道選手権大会にも出場を果たしており、自らの出場した試合は全て負けなしで終わるという偉業をやってのけます。その功績が認められ、最後の出場になった2009年大会では個人・団体のいずれも優勝を果たし、団体においては大将そして主将としてチームをまとめ上げました。これこそ彼の真骨頂です。
奉職先は大阪府警
寺本氏は大学卒業後は大阪府警で奉職に就きます。大阪府警は警視庁・神奈川県警に肩を並べる全国の高校剣道、大学剣道のスーパースターたちがこぞって奉職を希望する非常に狭き門です。稽古は熾烈を極め、またそこに在籍しているメンバーも日本を代表する選手ばかりで当然、世界選手権の代表に選ばれる選手も輩出されるような剣の道を究めんとする者たちの登竜門と言っても過言ではない場所です。
勤務もあるため学生時代のような稽古時間は取れませんが、内容が非常に濃くまた立ち会う相手のレベルが全国屈指の強豪ばかりであるため自ずとレベルは上がっていきます。
情熱大陸にも登場
寺本選手の活躍ぶりは情熱大陸にも取り上げられています。これは2009年の世界大会出場時の寺本氏を取り上げています。
寺本選手の強さの秘密
巧みな剣さばき
動画をご覧頂くと分かりますが匠な剣さばきで相手を翻弄しスキを作って一気に打ち込みます。相手としても動きが読めないため対策を講じようがありません。
臨機応変な技
寺本氏は非常な多彩な技を繰り出します。次から次へと技を繰り出されるため相手も防ぎようがありません。気づいた時にはすでに技を撃ち込まれています。
たぐいまれな分析力
寺本氏は分析力が人並みはずれています。相手の弱点を即座に見抜き、そこを多彩な技でつくという寺本氏だからこそできる戦法です。いくら分析が出来たところでそれを形に出来るだけの力がなければ勝利を得る事は出来ませんが、それが出来てしまう事も寺本氏の強さの秘訣です。
人並みはずれた人格者
寺本氏が団体戦で最も力を発揮するという事を冒頭述べましたが、それは自らが強くなるだけでなく仲間をも強くするという意味です。非常に腰が低く、謙虚さを忘れない人格者のため周りが自ずとついてきていつも以上の力を発揮する事が出来ます。それこそが「剣道界のエース」たる所以です。まさに利他の心を持った心優しき、強い剣士こそが寺本将司氏なのです。
剣道大好きまっすーです。
剣道好きな人に喜んで頂ける記事を多数書いていきたいと思います。
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