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高校剣道界のリトルスター水戸葵陵のスター選手寒川選手の特徴とは

剣道
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「水戸葵陵の寒川」
この名前を聞けば関係者はおっと身を乗り出す選手の1人が寒川選手です。大学剣道の名門筑波大学に進学をし自らの腕を鍛えている寒川選手ですが、高校時代は果たしてどのような活躍ぶりを見せていたのでしょうか。

今回は、寒川選手の高校時代の活躍を見ていきつつ、その強さの秘密に迫っていきたいと思います。

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寒川選手の通っていた水戸葵陵高等学校

今回は寒川選手の強さに迫っていくのはもちろんのことですが、彼が高校時代に通っていた学校についても触れていきたいと思います。実は、寒川選手の母校水戸葵陵高等学校は剣道界の中でも名のある学校です。全国大会でも入賞が当たり前というレベルの非常に強い学校で、寒川選手も高校3年間はこの学校で心身ともに鍛えていました。

学校としての戦績はとてつもなくこれまでにインターハイでの団体優勝2回、個人優勝4回、またそれ以外の大会での優勝・準優勝回数を合計すると全部で団体・個人を含めて17回の優勝もしくは準優勝を果たすなど非常に華々しい結果を出し続けています。ただし、注目するべきなのがその優勝のいずれもが平成に入ってからのものであるという事です。平成6年にインターハイでの個人優勝、翌年7年の魁星旗での団体優勝を皮切りに勢いを増してきている近年力をつけてきている学校です。直近では、平成28年に全国選抜で団体準優勝を果たしています。最後に優勝を飾ったのは個人では平成26年、団体では平成21年です。

そして、もう一つ着目するべきは創設からの歴史がある事です。創部は昭和62年と歴史のある剣道部です。女子剣道部もありますが、圧倒的な存在感があるのは男子剣道部です。目標は常に「全国制覇」であると学校ホームページにも掲げているほど常に一番を目指して稽古に励んでいます。

それだけ高い目標を掲げ、また厳しい練習に励んでいる事もあってか水戸葵陵からは毎年のように化け物級の選手たちが飛び出します。有名なところでいきますと、宮本選手、中根選手、遅野井選手、岩部選手などがあたります。それぞれ怪物級の強さを誇り、各代の大将のポジションをキチンと務めてきました。

寒川選手の強さの秘密

さて、水戸葵陵剣道部について少しずつ概要が分かってきたところで本題の寒川選手の強さの秘密についてご紹介をして行きたいと思います。いくら学校が強いとは言えどもやはりその中で圧倒的強さを誇るわけですから何か理由があるはずです。

寒川選手の強さの秘訣1 環境

やはり、先ずは何と言っても練習環境にあります。先ほども紹介したように水戸葵陵剣道部は毎年当たり前のように「全国制覇」という目標を掲げて稽古に励んでいるわけです。全国大会に出る事を目的にしている学校なのか、全国大会で優勝する事を目的にする学校なのかで生まれる結果が違わないはずがありません。前提としての基準が高い事で稽古の質や試合に臨む姿勢も変わってくるでしょう。

また、歴代の大将たちのように立派な選手を輩出している事からやはり周りの目も厳しくなります。そんな常に見えないプレッシャーにされされている中で日々を過ごすわけですから精神的にもだいぶ強くなります。

寒川選手の強さの秘訣2 バランスの中にも得意な一手を持っている

寒川選手は基本的にすべての技に一律に高いレベルで精通しているため、非常に攻撃のバラエティーが多いですし、またそれぞれの技の1つ1つの制度が非常に高いため、相手としてはとてもやりにくい事は間違いありません。

また、そんなバリエーションが数多くある中で彼の注目しなければならないのは「突き」です。一度放たれるといやでも印象に残ってしまう突き。相手としては。常にその一撃必殺を念頭に置きながら戦いを進めなければいけないため、気が抜けません。

水戸葵陵の寒川が怪物すぎる(最後の突きに注目)

次なる舞台へ選んだのは大学剣道界の頂点

実は今回紹介した寒川選手が所属していたころの水戸葵陵は高校剣道界の頂点を極める九州学院の連覇を阻止するという快挙を成し遂げています。実は、大将である寒川選手の前で勝負はついていたのですが、最後は大将らしく見事に勝利を手繰り寄せ有終の美を飾りました。そして、そんな寒川選手が選んだ次の舞台は大学剣道の頂点を極め、これまで何人ものスター選手を世に送り出した筑波大学です。全国各地から猛者と呼ばれる剣士たちが集まり、先輩・同期・後輩関係なくしのぎを削っている厳しい世界ではありますが、次なる飛躍の舞台としては申し分ない場所を選択した事になります。これからも寒川選手がどんな剣道をしていくのかが楽しみです。そして、その後はどのような進路をたどっていくのかも目が離せません。

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